はなきうスペース

作品感想や舞台探訪、二次創作関連など

『君の膵臓をたべたい』を読んで観て感じたこと

ついに劇場アニメが公開された。初日の初回に観てきた。

まずはじめに。この作品は間違いなく『君の膵臓をたべたい』だった。

映画という性質上、原作そのままにならないのは当然として、それでも真摯に誠実に映像化している作品だった。とても良かったよ。

 

 アニメを観たことで原作小説、コミカライズ、実写映画と合わせ全ての『君の膵臓をたべたい』を体験することができた。ということで劇場アニメに限らず全ての『君の膵臓をたべたい』で感じたことなどを思うままに書く。遠慮なくネタバレするし、称賛だけではなく納得していないことも書く。ところどころ小説やコミカライズ、映画の話題に飛ぶのでご注意を。あと読みやすい文章は意識しないのであしからず(開き直り)。

 

実は『君の膵臓をたべたい』原作小説を読んだのはごく最近で、劇場アニメ公開の約一ヶ月前。以前から存在は知っていたけど、薄命美少女と平凡男子の物語というのは普遍的ともいえる題材で今更感があったのと『膵臓をたべたい』というタイトルに忌避感があって無視していた笑。インパクト重視なタイトルで釣る本も多いしね。

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劇場アニメの公開が近付き、ネットやTwitterなどで情報を目にする機会も増えてくると、徐々に「これはもしかしたら凄いものなのでは?」と感じるように。凄い凄いっていう声が大きいからさ。
最終的に後押しになったのは予告編動画にある台詞だった。

『誰かと心を通わせること。そのものを指して生きるって言うんじゃないかな』

なんですかこれは。

もしかしたらこの物語は引き裂かれる恋の悲哀とか単純なお涙頂戴とは違うのではないか? と。すぐに原作を購入し読んだ。泣いた(笑)

膵臓の設定への疑問などから序盤はいまひとつだったが、気が付くと二人の世界に引き込まれていた。桜良を知るほどに活き活きと人間らしくなる「僕」、それに呼応するように生きる姿が輝きを増す桜良。設定に現実味がどうのなど、もはやどうでもいい笑。

徐々に近付いて行く二人がどうなるのかドキドキしながらページを進めたが、それは同時に桜良の死が近付くことでもあり……。二人に感情移入するにつれ、訪れる日のことを思うと中盤は読み進めるのがしんどかった。

 

そして入院してからの二人に大きく感情を揺さぶられた。

ずっと近くに死を感じ不安に押し潰されそうな時に病床に現れた春樹に、彼女はどれほど勇気付けられただろう。後に遺書によって明らかになる場面と重ねることで込み上げてくるものが増幅される。

一度きりの「真実と挑戦」。そこで語った桜良の言葉。残り僅かな時間を精一杯、人と接し関わることを選択し続ける桜良。その心からの声に触れ、人と接し関わることを選択する道に、まさに一歩踏み出そうと動き始める春樹の心。

『誰かと心を通わせること。そのものを指して生きる』

心を通わせるということは、言葉でいうほど簡単なことではない。それでも、この二人にとっては全く曇りのない真実の言葉だった。この時にはもう二人は心が通い合っていた。強く輝いて生きていた。

共病文庫の遺書と併せ、この場面は本当にこの物語の本質が込められているのではないだろうか。

それは作中アイテムとして登場する『星の王子さま』に通じている。王子さまは地球にやって来て出逢いと別れを繰り返して最後はまた星に還っていくのだが、その出逢いの中で多くの大切なことを贈られ、自身もまた大切なものを贈っていく。

星の王子さま』で多く語られる場面がある。キツネとの出会いと別れを通して、自分の星のたったひとつのバラへの想いに気付く場面だ。ありふれたバラも、たったひとつのバラになる。ありふれたキツネも特別なキツネになる。ただの金色の麦畑も、それをみることで金色の髪の王子さまを思い出すことができる。絆を結んだものは特別な存在になる。

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原作者の住野よる先生は『星の王子さま』を作中アイテムとして使うにあたり、本の内容を強く意識していたと思う。王子さまをはじめとしてキツネやバラなどの登場人物の発言は、桜良の言動にいろいろと反映されている印象がある。

その最たるものがキツネが王子さまに贈った言葉『ものごとは心で見なくてはよく見えない。いちばんたいせつなことは目に見えない』なのだと。

だから彼女は早くから春樹の持っているものを感じ、仲良くなろうとした。自分にはないもの、目に見えないものを心で見ようとした。だから春樹は懐いた(笑)のではないかと。

 死を目前にして、生きることについてあそこまで言うことができる桜良は何て人なんだ。そしてそれを言わしめた春樹も凄いよ。 

『君の膵臓をたべたい』はラストへ至る共病文庫を読む場面が物語の最高潮なのかもしれないが(もちろんそこも号泣)、自分としては入院時の桜良と「僕」のやりとりが本当に良かった。とても沁みるんだ。

だからこそ、この入院時のいろんなやり取りはもっと丁寧にじっくりと観たかったんだよね。映画の花火演出も素敵だとは思うんだけど、病室で静かながらも熱く……というのが個人的には好きでした。

 

春樹が共病文庫を読むシーンは、いろんなことを振り返りながら読み、観ることになる。涙なしにはいられない流れだ。感情のピークが続く。

アニメではこのシーンがなんと『星の王子さま』ならぬ『星のお姫さま』ワールドになっててびっくり。個人的には世界観がいきなり飛んでしまい「えぇ…」て感じで戸惑ったが、そこは好みの問題なので。かわいらしくて良かったとも言えるよね。

そこに『星の王子さま』を持ってきたことを否定するつもりはない。いやむしろ我が意を得たりとまではいかないが、やはり『星の王子さま』が重要な位置を占めている物語なんだと確認できて良かったと思えた。ただ、びっくりしただけなのさ……。

ちなみに『たいせつな贈り物』という恭子メインの二次創作を書いたのだが、ここにも『星の王子さま』は重要なものとして扱っている。春樹と恭子が友達になる過程を書いたお話なので、よければ読んでみてね(宣伝)。www.pixiv.net

 

話を戻そう。この場面の描写はコミカライズの表現がとても好き。このブログはネタバレありなので遠慮なく書くが、共病文庫の最後、春樹への遺書のシーン。遺書というモノローグでもあるんだけど、まるで桜良と春樹が対話しているように描かれている。もちろん会話形式ではないんだけど、まるで二人で話しているかのようで。きちんとしたお別れができなかった二人が、この表現でとても救われたような気持ちになって大号泣だったのだ。本当に素晴らしい。騙されたと思ってコミカライズを買って読んでみて。

桐原いづみ先生はすごい!

  

『恋とか、友情とか、そういうのではないよね』

住野よる先生は恋愛小説を書いたことはないと発言されている。その通りだと思う。この物語は恋愛物語ではない。友情物語でもない。

人が人に憧れ、欠けているものに気付く。成長し心を通わせ、互いを必要とする。失っても乗り越える。前を向いて歩く。そう選択することの素晴らしさが根底にある物語ではないだろうか。そしてその全てを含んだ先にある愛の物語なのだとも思う。恋愛脳の愛ではないよ。この辺りの語彙力がないので、全体を通して書いていることで汲み取っていただきたい。

春樹に恋しているという表現が共病文庫にはあったので、桜良には春樹への異性としての好意はもちろんあっただろう。ただそれにおさまらない、もっと大きく深いところでの繋がりが圧倒的だったというところか。上にも書いたように、心を通わせるということは本当に凄いことなのだから。並の恋愛なら心通ってなくてもできちゃうからね(偏見)。

もっとも、余命からの徹底した恋愛感情への抑制が桜良にはあったとも思える(委員長とちょっと前まで付き合ってたけどそれはノーカンで笑)。書き遺しているように時間があまりにも残されていなかったから。春樹のことを考えて、そっち方向への気持ちは抑えたというのが自然かもしれない。桜良にとって春樹は付き合うとかそんな段階を遥かに超越した大きく大切な存在だったのだろう。

それでも体温を感じるためのハグシーンには心温まると同時に締め付けられるような切なさも感じてしまう。彼女のいろんな想いが込められた行動なのだから(その中に恋心も含まれたのでは)。

恋や友情ではないという桜良の言葉の裏に、やっぱり別の想いが隠されていたと思ってしまうのだ。

恋していると何度も感じていた。それでも恋人になるつもりはなかった。それは確かめる時間が無いから。共病文庫に書かれていたこの部分で、とても切ない気持ちになった。

人として、自分が自分であると感じさせてくれた偉大な存在である春樹。その彼が必要としてくれているだけで桜良は心から幸せを感じることができた。

それでも――。

どうですか?

もし自分がその立場だったなら。

自分には桜良の必死さ、あまりにも切ない自己抑制を感じずにはいられない。

春樹が見舞いから帰ったあと、どんな思いでいただろうか。幸せだけだったろうか。ベッドで抱き合い体温を感じた後、一人残った病室でどれほどの寒さを感じただろうか。育むことを許されない想いを、彼女は必死に抑えていたんじゃないだろうか。そんなことを最後の遺書の端々に感じてしまうのだ。

もちろん嘘は書いていないだろう。春樹との心の結び付きを感じ、それに無上の喜びを感じる。そのことは揺るがない。とても素晴らしいことだ。

でも……。

そんな自分の思いは一年後、春樹の墓前での独白で救われた。

『もし、僕の本当の初恋の人みたいな女の子がまた現れたなら』

言うじゃねえか春樹! いいぞ! 

心が通じていたのだから当然なんだけどね。ただこの初恋というものがまた微妙な言葉で、恋人関係の相手に向ける気持ちとはちょっと違うんだよね(劇場特典小説にも書いているように)。本当にこの二人の関係にぴったりの言葉を探すのは難しい。

そもそも人と人の心の繋がりよりも恋愛が軽いなんてことはないわけで、どちらが優れているという性質のものでもない。人間愛の中には恋愛も含まれる。

彼らは本当に大きな愛、全てを含んだ愛、目に見えないたいせつなことを掴んでいたのではないだろうか。

 

たいせつなこと、見えていますか?

私は……どうだろう? 

ちょっと自信ないな。

それを探しに、また『君の膵臓をたべたい』を読もう! 観よう!