『四月は君の嘘』舞台歩き……と観て読んで感じたこと
『四月は君の嘘』の舞台を歩いた。開花し始めた桜によって作品世界をより強く感じ、とても良い探訪となった。
今回はその記録と、おまけとして『四月は君の嘘』という作品への自分の想いのようなものを綴ってみた(ネタバレあり)。
訪れた場所
練馬区観光案内所
まず最初に練馬駅北口Coconeri内の観光情報コーナーを訪れ『四月は君の嘘 練馬区内ロケーションMAP』を入手(無料)。
主要シーンとその舞台が網羅されていて便利で記念にもなる素敵アイテム。
オリジナルグッズのクリアファイルも購入できる。
練馬文化センター
第1話,第4話
https://goo.gl/maps/cGB51sA6qSA2
かをりや公正がコンクールに出た藤和ホールで、実際は練馬文化センターという施設。最初に訪れCoconeriを出るとすぐ見える。敷地に隣接している公園では花見客やダンス練習している少女たちで賑わっていた。
石神井公園
第1話,第22話
https://goo.gl/maps/EGNZgVJmCUD2
かをりと公正がそれぞれ黒猫を見かけた道。幼少時のかをりも駆けた場所。
かをりが黒猫を探した自販機コーナー。
猫はいなかった。
石神井川沿い遊歩道
第2話,第16話,第22話
https://goo.gl/maps/3FHzgLqHedA2
代役を二度任命された場所。かをりの手紙を読む場面でも描写された。とても心に残る場面だ。
彼女の本当の気持ちが胸に迫る。
桜の葉が色付く季節にも訪れたい。
前通り橋(土稜僑)
第5話,第11話,第22話
https://goo.gl/maps/KZ6EvCvMkUJ2
練馬区から離れて埼玉県新座市にやってきた(西武池袋線ひばりが丘駅)。ここは歩きだと時間がかかるのでバスを利用。北口のロータリーからバスが出ている。栗原バス停から徒歩10分くらい。
「けんけんぱっ!」
蛍の川岸も見える。
人生には思いきって飛び込む決断が必要な時がある。想いを届けるために残された時間を輝きながら走り続けるかをりの象徴ともいえる場面だ。 困難や挫折を乗り越えよう、何かを掴もうとしてあがく姿、成長する姿に共感できるから『四月は君の嘘』は素晴らしいのだ。
踏切
第11話,第22話
https://goo.gl/maps/2wyjGHu4FY22
この光景は西武新宿線の高架化事業によって消えることが決まっている。アニメと現実を混同するわけではないが若干の寂しさはある。
「上石神井第4号踏切」
車の往来はなく、人もそれほど多くはない踏切。静かな雰囲気が作品世界に入ってしまったかのような感覚が心地良い。あたたかさと寂しさが混ざりあう。
この踏切も消えることが決まっている。それでも作品の中では永遠に残り続ける。
今回の『四月は君の嘘』巡りはこれで終わり。来ることができて本当に良かった。行けなかった場所はまた次の機会に。
――おわり――
『四月は君の嘘』を観て読んで感じたこと
ここからは舞台探訪記録ではなく作品への想いなどを書く。
2011年に漫画連載、2014年にアニメ放映が開始された『四月は君の嘘』。最近になってアニメ版と原作漫画を体験した。素晴らしい作品だった。
実は作品自体は数年前から知っていたが、ずっと避けていた。『君の膵臓をたべたい』を読まなかった理由と似ている(キミスイ感想はこちら)。それにしんどいのはやっぱり辛い。それでも自分の中で向かい合う準備が整ったと判断し観ることにした。
中学生の有馬公生や宮園かをりに降りかかる運命は、あまりにも酷で心が苦しい。
それでも、どんなに苦しくても懸命に生きよう掴もうと必死にあがく姿、お互いと自分を見つめ、信じて成長していく姿に心を打たれた。
また彼らを取り巻く人々にも皆それぞれ抱えた何かがあり、そういった人々との影響を与え合う様子が丁寧に描かれているのも素敵だった。
生きていく上で避けることができない大切な人との別れ、残り続ける想い。誰にでも降りかかる出来事だからこそ、苦しみや辛さを温かく包み込んでくれる内容に「ありがとう」と言いたくなる物語だった。
この作品は二周目以降により響くという声があった。その通りだ。最終話を終えても余韻に浸る間もなく、すぐに第一話から通しで観た方が多いのではないだろうか。
最初は主人公に寄りながら徐々に飲み込まれていったのが、二周目は宮園かをりの物語として強烈に入り込んでくる。宮園かをりの数多の言動に込められていた真意を知った状態で観る衝撃。泣かずにはいられない。かをりの行動や言葉、表情一つ一つに込められている「叫び」ともいえる強い想いが痛いくらいに突き刺さる。どれほど苦しく、どれほど嬉しかった日々だろう。
『届くかな 届くといいな』
届いていた。かをりの想いも公生の想いも届いていた。 彼らの気持ちや願いは届いていた通じ合っていた。
音楽は心を繋ぐ。音楽は大切な人を連れ去っていかなかった。音楽が大切な人に逢わせてくれた。大切な人を心に残し繋げてくれた。
失ってしまっても、心には残り続ける。届けることができる。思いを込めて奏でる曲には魂が宿る。それは音楽だけではなく、言葉や行動だって同じだ。公生がかをりに惹かれていったのも、かをりがそうだったのも、彼らが奏でる音楽はもちろんだが、想いに裏付けられたものがあったからだ。
この物語は有馬公生が宮園かをりに引っ張られ成長するストーリーのようで、成長する公生によってかをりもまた救われ成長する物語だった。救われる、というのは適切ではないかもしれない。お互いに高め合い、お互いの心に住み、それによってかをりが燃え尽きるまで走り続けた物語といった方が近いかもしれない。
かをりは死んでほしくなかった、ということはあまり思わなかった。もちろん悲しい。でも、この物語で大切なのはそういうことではない。
誰かが「心に住み続ける」ことの素晴らしさ。心にあり続ける限り、その人は生き続ける。心を揺り動かし、生き方を変えるまでに誰かの心に住むということは、人生の中でそうあることではないのだから。
中学生でこんな恋をしてしまったら、残りの人生抜け殻になっちゃって椿が頑張ったところでもう恋愛なんて無理! となると思うかもしれないが、公生は違うだろう。かをりのことは決して忘れないし、心にずっとあり続けながらも最高の人生、最高の恋愛を見つけるに違いない。かをりから受け取り、かをりに贈ったものを多くの人にピアノを通じて表現しながら……。そうしていつかまたどこかで、かをりと公生は共に演奏するだろう。
公生の奏でるピアノには多くの人の想いが込められる。母の想い、公生を囲む人たちの想い、繋がっている多くの人の想いが存在し続ける。そして何よりも宮園かをりが。そう信じさせてくれたからだろうか。別れの悲しみや苦しみ切なさといったものよりも、あたたかさや嬉しさといった感情が大きく占めるのだ。
最後に、渡くんはなかなかしんどい立場だなとも思った笑
かなり早い段階からかをりの本心にも気付いていたのだろうが(はぐらかされはしたが)、それでも彼もかをりが好きだったのだろう。試合に負けた後のトイレ、公生を励まし見舞いに誘い続ける、そして携帯の待ち受け。本心を最後まで明かさなかったのは渡じゃないかな。最後までいい男だった。
宝石のような物語に出逢えたことに感謝。